ヴィーガンのトリック

「豚を食べていいんだったら、人間を食べてもいいはずだろ?」

ヴィーガンの論法で、肉食側を「ダブルスタンダード(豚と人間を語るときにルールを変えている)」「藁人形論法(論点のすり替え)」で斬って捨てようとするタイプは、「おまいう*1」と返しておけばいい。
ならぜなら、彼らの問題の立て方がじつは別の論点を持ってきて非難する「ダブルスタンダード」「藁人形論法」だからだ。

それは恋愛に関して「人間とだけつきあわずに豚ともつきあえ、同じ生き物だろ?」と詰問するのと同じ方法で、スタート地点でやられるので論点がすり替えられているのに気づきにくいだけだ。*2下手をすると彼ら自身も気づいていない。


動物の権利問題を掲げる倫理学者が提起する問題もみなこのたぐいで、論理学に詳しい倫理学者だとそれに気づいていて、これはお互いの倫理観をテストする方法だと注意をうながす。


そもそも倫理観で一方的に勝つのは倫理の成り立ちから考えても不可能なのだ*3。倫理の理論は、どんなによくできていようとも、倫理学で直観と呼ぶ「人が持つ漠然とした善悪の考え方」に勝つことはできない。倫理は、直感の延長上に組み立てられる。結論が直感と両立できなければ、修正が必要なのは倫理だ。

しかし、前述したように、おたがいの価値観の違いを話しあってはっきりとしようとしている場合には問題はない。倫理観の違いを確かめる良質なテストだからだ。

 

それに、ヴィーガンの問題提起もすべてが無理な押しつけなわけではない。

「食べるためだけに動物を量産して殺す行為は健全と言えるのか?」や「食糧問題として、穀物を動物に与えて育てるより穀物を直接人間が摂取するほうがムダがはるかに少なくて良い*4」というのはヴィーガンに関係なく十分考えるに値する。

 
 
 
 
 

*1:おまえが言うな

*2:公平な場所ではなく、彼らが一方的に有利な場所に立たされている

*3:ただし相手の倫理観にあきらかな矛盾がある場合を除いて。それでも五分五分。相手が指摘を受け入れて自分の倫理観がおかしいと思った場合のみ有効

*4:あるいは「動物を育てるための穀物を作るリソースを別の農産物に割り当てたほうが良いのではないか?」