サルにもわかる左翼思想

良い物を安く買いたい。
この感覚は金持ちでもおなじです。
それが会社の経営者だったら買う物は労働力。良い物を安く買いたいのですから、安い賃金でたくさん働いてくれる人がいい。
それは労働者からすると安い給料でたくさん働かないと商品としての魅力がないということです。仕事を得るためには、より安い給料で、よりたくさん働くようにしなければいけなくなります。
このようにして安い給料でたくさん働くことが自然の傾向になってきます。
給料の限界は、次の日も仕事ができるだけの知力体力が維持できる額で、そこまでは下げることができます。限界まで仕事をして、わずかな給料から最小限の食事をとって、ごくわずかな私的時間の中で最小限の睡眠をして、翌日また限界まで仕事をする、の永久ループです。
どれだけたくさん働いてすべてを仕事に費やしてもお金もなく時間もない。疲労のみの生活。生活といてるのかもわからない。そんな底辺にいたったひとのことをプロレタリアを呼びます。がんばっているにもかかわらず、むくわれない彼らを救いだそうとするのが左翼思想の原点です。

 

良い物を安く買う。ここにすべてがあります。これにより貧富の差や、帝国主義とよばれる侵略の経済的なメカニズムが発生します。
これが資本の運動です。この資本の運動を停められた者はいません。そのため根本的な解決ができず色々な方法で間接的に状態をやわらげる手段がとられます。方法のちがいが色々な左翼思想のちがいになります。
また、解決手段をまるで考えず、とりあえず今のこの状態から逃げだせれば良い、漠然とした希望だけを抱いて満足しようとするスピリチュアルな左翼思想もあります。大方の人間にとって左翼思想はこれであり、そうでないとしても、その精神を支えているのはこれでしょう。

 

共産主義はマウントをとるだけ

共産主義は、ほかの左翼思想ではダメだ、といって現れました。
しかし批判はするが中身をともなわないため「こうすればいい」という実体がありません。現実にやろうとすると、かならず失敗します。リーダーは国をまとめるために専制君主になり、事態をとりつくろう日々がつづきます。器用であればごまかしも幾分つづくでしょうが、蓄積したごまかしはやがて崩壊をもたらします。解決を偽装するために誰かに責任を押しつけ処刑するのが通例です。それでは生け贄をささげる原始的な祭祀社会と変わりません。共産主義国は、専制君主国家であり、祭祀社会です。それはただの後戻りにすぎません。