なぜ正義も悪も勝利しないのか?

それは、善悪(倫理)がどういうふうにできあがっているかを知ればすぐにわかります。
おおもとになるのは個人が抱いている漠然とした善悪の感覚です。
倫理学ではこの感覚を直観と呼びます。
この漠然とした感覚は、親のものを引き継いだり、友だちやまわりの人との関係性から生じたり、またはまわりのもの、たとえばテレビや本などから受ける情報からできあがります。
やがて、個々が持っている漠然とした感覚をまとめてうまく説明がつけられるように仮説がつくられ、それが善悪の法則・倫理法則・道徳とよばれるようになりました。

しかしそれは正義の味方と悪役がでてくるマンガなどと変わりません。
あなたがそこで正義を勝たせたければ正義は絶対になりますが、それはあなたの中だけの話です。
討論して勝てばあなただけの問題ではないともいえるのでしょうが、それはあなたの正義が勝ったわけではなく、ディベート(討論)の勝利です。他人との関係ではどうあがいても相対的です。
善悪はディベートにすぎないのです。もしくは、もっと広くとらえて、コミュニケーションということもできるでしょう。

この善悪というものは、余裕のあるときには上から目線で指図しますが、生死がかかった瞬間など極限の状態ではすぐに役に立たなくなり判断停止におちいります。神のように本当に助けが必要な危急のときに姿をあらわしてくれません。だから信じて私をみまもっていてくださいと祈りを捧げるほかないのでしょう。

 

しかし、この漠然とした善悪観を捨て去ることは、かなり特殊な人でなければできるものではありません。
また、集団のための善悪のルールである法律をつくるためには必要な技術でしょう。
私たちは、おそらく永遠に、この漠然とした頼りないものに頼って生きていかなければならないのです。